「007/スペクター」寸評〜最後のダニエルボンド

※ ネタバレあるよ!


遅ればせながら、「007/スペクター」を視聴。ダニエル・クレイグ演じる007の4作目だ。

これが最後のダニエルボンドになるだろう。

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物語の終盤。

橋の真ん中で、ボンドは、瀕死だが、殺しても殺したらないほど憎い敵と相対する。
橋の一方には上司であるMが、もう一方には、ヒロインであるマドレーヌがいる。
敵を生かすも殺すもボンド次第。息を飲む場面だ。

結局、ボンドは敵を殺さない。
そして、「殺しの世界」にいるMに背を向け、「平和の世界」にいるマドレーヌの元へと足を運ぶ。
物語中の、Mの「殺しのライセンスは、殺さないライセンスでもある」という言葉がふと蘇る。
橋を、此岸と彼岸を分ける道具として実にうまくつかっている。


ダニエル・クレイグはインタビューのなかで007を演じることを死ぬほど嫌がっている。役作りのためのストイックな生活に嫌気がさしたと書かれているが、果たしてそうだろうか。

今回の物語で、ボンドの中でも、ダニエルの中でも007は「終わって」いるのだ。
現実と物語がリンクしている。
これほど理想的なことはないだろう。

ハリウッドの続編で金を稼ごうという姑息な手段にのり、「ダニエル007、続編決定!」の見出しが躍ることがないよう願ってやまない。

不安

最近になってようやく、やりたいこと、できること、適性はまったく違うものである、ということに気がついた(逆に、この3つが奇跡的に一致している人こそ、成功者と言われるのでは、とも思っている)。

3つのうち、「適性」と「できること」の違いがあいまいなので、説明しておくと、適性は「自分自身が気づいていない(人に指摘されて初めて気がつくような)、自分に合う(=できる)であろう仕事」、できることは、「今までの経験や習慣から最初はできなかったが、できるようになった仕事」と僕は考えている。
つまり、その仕事ができるかどうかの裏づけが「あるかないか」の違いだ。

なので、新卒時の就職活動などでは、証明できる「できること」がないので、「やりたいこと」と「適性」を名一杯押し出して、自己PRに励むわけだ。

仕事をする中で、「適性」がやがて、「できること」に昇格した人は幸いである。間違いなく、それはその人の武器だ。

逆に、この3つの不一致があまりに大きくなると、メンタルをやられてしまったり、会社を辞めてしまったりするのだろう。

僕の場合、日々、3つの不一致に悩み、苦しんでいる。が、そんなことを言っていられる歳でもなくなってきた。

営業として、ほとんど何も実績を残せなかった僕はこの春、法務に異動する。「こいつにはいろいろな経験を積んでほしい」という前向きな異動ではなく、「こいつにはこっちのが合ってるだろ」という要素が大きい。

これでもし、異動先でも実績(そもそも法務に実績なんてあるのか?そんなレベル)が残せなかったら…。何の専門性も持ち合わせていないのに、ジョブホッパー街道まっしぐらという悲惨な未来が見える。結婚できるだろうか…。

とまあ、最近、マリッジブルーならぬ異動ブルーになっている伊達めがねなのである。

がそれでも、周囲の仲間から「(法務は)伊達めがねにぴったりだよ!」「問い合わせしやすくなる」「問い合わせまくって仕事を滞らせてやる」という励ましの言葉をいただいており、何とか心の安定を保っているのだ。仲間に感謝!

そうして今日も予習がてらに法務に関する本を読む読む。

酒と〇〇

某有名ブロガーの著書にこんな文言がある。

「『お酒』と『恋愛』は、いずれも人生を楽しく豊かにしてくれる、とても重要な要素です。なぜならこのふたつは、人を『現実と論理の世界』から遠ざけてくれるからです。」

これに倣うことにした。

昨日のことが相当こたえたようだ。

ただ、残念なのは恋愛の方に頼る術がないことだ。

なので、ヘッドホンで鼓膜が破れるくらいの大音量で、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「Wake Up!」(夜なのに(笑))を聴きながら昨日浅草で買った、神谷バー電気ブランを舐めている。


ウツラウツラ
また眠る
ウツラウツラ
微睡みの果て
目を覚ませ
悪い夢みてるぜ

ウツラウツラ
また眠る
ウツラウツラ
微睡みの果て
目を覚ませ
悪い夢みてるぜ
……



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仕事のグチのようなもの

社内で、できれば誰もがやりたくないような、優先順位の低い委員会活動を任されている。その中でリーダー的なポジションにいる。

営業数字に劇的な変化を加えるものではなく、かける手間の割に成果がとても小さい。そこから得られたものが、何か待遇に変化をもたらすわけでもない。

招集されたメンバーとて、そこまで熱意があるわけではない。だから、委員会の活動を盛り上げるための全体会議での発表や資材作成は一手に引き受けてきた。学級委員体質の伊達メガネは任されると、頑張っちゃう人間なのである。

別に上に挙げた仕事が嫌いなわけではない。むしろ、自分が起こしたアクションで、まわりが盛り上がった時のうれしさは何ものにも代えがたいと思っている。

そんな活動も4月という年度の変わり目(および僕の異動)を控え、メンバーの総入れ替えをすることになった。

あまり優先順位の高い仕事ではないとはいえ、引き継ぎはしておきたいと思っていたので、先週の金曜夜の段階で週明けに引き継ぎの時間を10分、15分ほしいとメールで伝えていた。

しかし、新メンバーが当の時間になっても誰も来ない。ナンテコッタイ!
「急用が入って参加できないなら、時間改めるよー」という内容のメールを1通送った。

そのメールを送ってから、およそ10分後。

新メンバーの1人が「すみません、伊達メガネさん!忘れてました、グヘヘへへ」と近寄ってきた。忘れてましたじゃねえ!バカなの??ゆとり世代か?!ってつっこもうとしても、君、僕と同い年だよね?

流石に普段温厚な伊達メガネさんも頭に来たが、あくまで顔は冷静さを保った(つもりである)。

そんな伊達メガネにトドメを刺したのが、委員会活動を新たに監督することになる上司の一言である。ちなみにその上司は、今日の引き継ぎミーティングの中には入っていない(引き継ぎ案内メールのCCには名前を入れていた)。会議があったので、上記のやりとり後、僕に話しかけにきたのだ。

「それ、今日やる必要あった?」

連休明けで対応しなければならない仕事が普段以上にあるはず、優先順位的に今日やる必要はない、と理由を添えてくれたのは良心的だし、僕にも配慮が行き届いていない点があったことに気づかせてくれたのはよかったが…。


なぜ、それを今言う!!


連休中読んだ『7つの習慣』には、「他責はいかん。自責になりなさい」というようなことが書いてあったが、そんな内容が吹っ飛ぶくらい頭に来、しかるのち脱力した。



このブログを書いてたら、落ち着いてきた。
WBS大江麻理子を眺め、気持ちを鎮め、明日も強く生きていこう。それにしても、大江麻理子、きれいだなぁ。

NOが言えない伊達めがね

金曜日。

普通なら明日から休みで浮かれた気分にもなれるものだが、いまの僕は憂うつな気分だ。

明日、友人の結婚式がある。

それが仲のよい友人ならよいのだが、そこまで仲がよかったわけでもない、ただ、同じグループに所属していた、というだけのつながりなのだ。そこにいたメンバー全員に声をかけないと、という新郎である友人のやさしさだけでお呼ばれした人間。

そんなグダグダぬかすなら、招待葉書が来た時点で「不参加」と書いて送り返せばよかったではないか、とつっこまれそうだが、まさにその通り!ただ、断る理由が何もなかったので、「ノー」と言えなかったのだ。

いまここに書いていることは、完全に伊達めがねに非(?)があるし、何よりみっともないことこの上ないのだ。

貴重な休みに新郎新婦の、私たち幸せですよムービーを見させられるストレスと明後日、休日出勤があり疲れを取る余裕がないことによる八つ当たりがこのブログなのだ。

やれやれ。
とんだクソヤローだな、僕は。

やることやったら、屁こいて寝よう。

妄想日記

会社での出来事。

これからお昼に出かけようとしていたところ、別のグループの後輩(女の子)が話しかけてきた。ちなみにその子はお人形さんみたいに可愛い子である。

「伊達めがねさんて、〇〇大学卒ですよね?」

そうだよ、と答えると、

「私のイッコ上なんですけど、サッカー部の△△(男の名前)って知りません?」

いきなり卒業大学からの、サッカー部の話に僕の頭は混乱した。ナニヲイッテイル?
いくら同じ大学だからといって、そこまで知っているわけがない。ましてやサッカー部とのつながりなど皆無である。それに、君いくつだっけって話。

Facebook上で友達の友達が伊達めがねさんだったと思うんですけど…」

友達の友達などゴマンといるだろう。ドユコトダ?
何が言いたいんだ、この子は、とその場では思った。

が、しばらく時間が経ってこう考えた。
その子はその何某という男が気になったので、同じ大学卒である僕が知り合いであることを淡く期待したのではないかと。そしてあわよくば、仲介してほしかったのではないかと。

そうでもないと、午前中に、あのような場で、仕事以外のことで話もしたことがない可愛い女の子から話しかけられるわけがない。

これはむろん何の根拠もない妄想ではあるが、もう少し気の利いたやりとりができたのではないかと、反省する月曜日の夜なのであった。

本当は違うんだ日記

大学時代の友人の披露宴に参加してきた。

新郎が僕の友人で、新婦は同じ大学の先輩である。両者とも、まっこと立派な経歴だ。恋に部活に両立し、いまは両者、一流企業に勤めている。

友人の同僚など、新婦がお色直しをしている際に他席の女性陣があいさつに押しかけてくるくらいの人気ぶりである(羨ましい限り!)。

隣りのテーブルに座る一流企業に勤める面々は、どこか自信に漲り、エリート然としている。着ているスーツもかなり高価なものと思われる。

それでも、僕の同期たちはそいつらに負けないくらい、明るく陽気で、その場を楽しんでいる。

片や僕はといえば、学生時代、挫折と失敗を繰り返し、はっきり言って、学生時代は高校以降、灰色の歴史しかない。他の人が本来、学生時代に積むべき経験もすべて「置いてきて」しまった感覚がある。仕事も正直うまくいっていない(どうしようもねえな)。

なので、いまここに書いていることは、僻みであり、嫉妬である(みっともねえなあ)。

だから、披露宴後の2次会で、「ごめん!飲みすぎた、明日仕事あるし帰る!」っていうのは嘘なんだ。
本当は、体育会系独特の、同じ組織に属していた人たち特有の「仲間意識」についていけなかったからなんだよ。

本当は、ね。